平成20年11月23日
愛佳交通株式会社

特集『思い出の愛佳中央交通』
本日も、愛佳交通をご利用いただきまして、誠にありがとうございます。
さて、今回の特集は『思い出の愛佳中央交通』というタイトルですが、愛佳中央交通という会社をご存知でしょうか。
既に忘れられた方も多いかもしれませんが、愛佳交通の6つの営業所のうち3つの営業所(南牧・茜ヶ崎・朝倉)は、
愛佳中央交通の廃業時に、路線とともに、愛佳交通に引き継がれた営業所なのです。
現在では面影もなくなってしまった愛佳中央交通ですが、いったいどういう会社だったのでしょうか。
元愛佳中央交通社員である森村なぎさが、過去の資料と記憶とともに振り返りたいと思います。



■愛佳中央交通について
愛佳中央交通は、南牧県内のバス事業者の中でも老舗のバス事業者でした。
乗合車両の在籍数や運行路線の多さなどでは、南牧県内では群を抜いていました。
MCB(英語訳 ManakaChuoBusの頭文字)の飾り文字や、白の車体に黄色とオレンジのラインの塗装は、
愛佳中央交通のシンボルとして親しまれ、塗装については簡素化され愛佳交通に引き継がれています。

△愛佳中央交通に在籍していた日野ブルーリボン(U-HT2MMAA)。乗合車両は日野製が多数を占めた。

■事業開始、そして路線発展へ
戦後の1946年5月。産業用トラックなどの荷台を客室に改造した車両で乗合バスが運転開始された。
戦前から運行していた事業者はあったが、戦中に全社が疲弊し倒産に追い込まれていた。鉄道についても蒸気機関車をはじめとして客車や貨車の不足から、十分な輸送量を確保できず、沿線住民の移動は困難を極めた。そこで南牧県が主体となって、新たにバス会社が発足したのだ。
当時の社名は『南牧県交通』。初代社長には(当時)南牧県知事の福島隆平が就任していた。本格的なバス事業が開始されたのは1950年、当時は40台近くのボンネットバスを準備して営業を開始していた。南牧県の交通局的存在だった当時、県全域に路線を広げるなど、戦後復興のけん引役も果たした。1964年には、愛佳中央交通だけでもボンネットバスを120台を保有し、営業所も4箇所に増えており、一部では都市間連絡バスも運行したが、高速バスの運行は原則としてしなかったことは極めて異例ではある。これについては鉄道との相互協力体制によるもので、鉄道から連絡する路線網を多く敷いて運行するスタイルをとっていたのが当時から変わらない特徴でもあった。その後、南牧県の手から離れて完全的な民営化が果たされると、南牧県交通から愛佳中央交通へと社名が変更された。1972年からモノコックバスに置換え、在籍車両の台数は170台を超えており、多くの地域の足となって縦横無尽の活躍を果たしていた。この頃が、愛佳中央交通の全盛期であった。

■衰退、そして愛佳中央交通の廃業へ
1980年代から自家用車が普及し、乗合バスの乗客数は落ち込み始めた。不採算路線は黒字路線の利益で赤字額を補填し、補填しきれない部分を補う目的として貸切バス事業にも力を注いだ。その経営努力も空しく赤字経営へと転落、1995年あたりになると本格的に路線数が減らされ、在籍する車両の数も減った。
老朽化の進む車両の置き換えも思うように進まず、更なる不信感を招く結果となり、更に乗客の減少に歯止めがかからない状態となり、2000年になると赤字額を黒字路線の利益で補うことさえも出来なくなっていた。
南牧県及び沿線市町村からの補助金を受け取る反面、社員の減員などによるコストダウンを図り、経営改善を図ったが、経営陣による汚職などで補助が打ち切られてしまう事態となっていった。再建の望みを捨てなかった社員たちは『沿線住民の皆さんを困らせてはならない』という信念のもと、路線バスの営業運行を最後の日まで続けた。経営陣と地域行政が話し合って廃業を決めたのは2006年10月30日。事業を引き継ぐ運行会社『愛佳交通』の設立を待って3月10日に事業を譲渡。翌年3月17日に愛佳中央交通は事実上の会社清算が行われて幕を閉じた。

■愛佳中央交通の最終日と、その後…。
愛佳中央交通としての運行最終日。別れを惜しむ乗客の方々に見送られて最終運行を終えた。営業運転を終えた車両のうち、引き継がれることが決定していた車両は新たな活躍の拠点となる愛佳交通の各営業所へと回送。引き継がれなかった車両は本社が併設されていた茜ヶ崎営業所へ集められた。その後、車両の方向幕を一斉に『愛佳中央』あるいは『愛佳中央交通』へ直し、最後の記念撮影会が行われました。愛佳中央交通で運行していた車両の大半は愛佳交通に引き継がれたが、引き継がれなかった車両は3月10日付で全車が廃車となり、ナンバープレートを運輸局に返納するため取り外された。愛佳中央交通の社員は、ほぼ全員が愛佳交通に再雇用されたものの、中には拒否したものもいた。それらの社員は資産管理会社(清算準備)となった愛佳中央交通へと残り、引き継がれなかった路線車両の処分などに奔走、清算が完了するとともに解雇された。ちなみに、引き継がれなかった路線車両の大半は内地のバス会社へと譲渡された以外は全車が茜ヶ崎営業所構内で事務所とともに解体された。


△愛佳交通南牧営業所に所属するいすゞ+富士7Eの路線バス(U-LV324L)。この車両のまた、元愛佳中央交通車両。

■愛佳交通の発足と現在
愛佳中央交通の廃業が決まった10月30日以降、経営陣は事業譲渡を検討していた。内地の数社などと事業譲渡を協議した結果、静岡県沼津市に本社を持つ『東静高速鉄道(秋月百合子社長)』が、関連子会社として『愛佳交通』を設立し、事業を譲受することになった。事業譲渡日は2007年3月10日。翌日の3月11日からは愛佳交通として営業を開始することとなった。
愛佳中央交通から愛佳交通へと引き継がれたのは路線と営業所3箇所(南牧・美海・朝倉)及び車両(中型車が中心に選ばれた)で、社員は原則として全員を再雇用する事となったがそれぞれの気持を考慮して「任意」とした。当時勤めていた社員の大半は愛佳交通社員として再雇用されることとなったが、拒否した者も数多くいた。その多くは愛佳中央交通に残り、清算管理業務へ従事することとなった。愛佳交通となって以降、路線の拡大などによって業績は回復。さらには休業状態の鉄道会社を吸収すると設備の復旧を親会社支援のもとで実施して鉄道事業を本格的に開始した。現在はバリアフリー対策を大幅に実施し、さらに利用しやすい公共交通機関として更なる飛躍を目指している。

筆者の紹介
名前:森村なぎさ(もりむら なぎさ)
出身:南牧県美海郡茜ヶ崎町
役職:自動車部広報課長
略歴
1993年:旧愛佳中央交通に事務系職員として入社
2007年:愛佳中央交通を退社。愛佳交通へ移籍。
2008年:現職就任。

*このページに記載してあることは、全て架空です*
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